メディカの取り組み

震災支援

東日本大震災での医療支援報告

2011年3月11日に発生した東日本大震災の医療支援のため、3月21日に現地に入りました。派遣先は宮城県多賀城市にある坂総合病院で、その病院が担当する地域の避難所を中心に医療ボランティアを行いました。七ヶ浜周辺の状況は想像以上にひどく、家は土台のみ、水田は海水漬け、大型の船や車が至る所に散乱していました。

 

現地で実際に医療活動を行ったのは3月23日から3月25日までの3日間で、スタッフは医師、薬剤師、看護師、事務、その他職種で構成され、小中学校などの避難所を訪問しました。特に文化センターは多賀城市でも最大規模の避難所となっており、1000人近くの被災者の方が避難生活を送っておられました。混乱のなか、薬剤師1名で調剤と服薬指導を行い薬の相談なども受けていました。処方の内容としては感冒剤、整腸剤、制吐剤や抗生剤が多く、慢性疾患の定期処方薬を紛失された方には必要最低限の降圧剤なども調剤しました。慣れない避難生活で不眠の症状を訴える方も多く、睡眠導入剤や安定剤の処方もありました。流通経路が断たれている影響で、慢性的な薬不足により限られた薬しか持ち出すことができないため、必要な薬を出せず、交通手段がない状況下での医療機関への受診を促さざるを得ない場合がありました。

 

2日目、3日目はつばさ薬局多賀城店での保険薬局支援を行いました。多くの患者さんが来られる中で経験したことのない忙しさではありましたが、服薬指導時に、遠く関西からの支援ということをお話しすると励みになると喜ばれる方が多く、つらい状況下でも時折見られる患者さんの笑顔が印象的でした。

 

震災から4年。今後は細く長い支援が必要になると予想されるので、現地に行く事だけが支援ではなく、被災地の復興を望み、自分に出来る事を少しでもしていくことが重要だと思います。

東日本大震災の支援に参加して

私が東日本大震災の支援として宮城県に行ったのは2012年4月末の1週間でした。

 

あれから4年が経ちました。今があの頃より少しでも前に進んでいることを祈っています。

 

調剤薬局での業務支援、避難所での診察時の調剤やお薬相談活動をしました。

 

震災直後の、カルテもなければ薬もない、医療を行うにあたって必要な情報や手段が全くないといった混乱は過ぎ去っていましたが、開局できている薬局は少なかったため、患者さんの対応に目が回りそうなほど忙しく、朝8時半から気が付けば夜7時…何人分投薬したんだろう…といった具合でした。避難されている方もまだまだ多く、ひとつの大きな空間にみんながひしめきあって生活しているような状況でした。

 

支援開始後1ヵ月以上経っていたこともあり、民医連支援団で避難所ごとに個別訪問記録が作られており、単発だけではない相談ができつつあり、すごいなと思ったことを記憶しています。

 

印象に残ったことは、少ない時間の中で聞くだけでも、家がなくなった人、家族をなくされた人、大変な思いをされた方々ばかりにも関わらず、文句や愚痴を言う人は少なかったことです。

言葉のイントネーションから遠くからの支援者だとわかり、丁寧にお礼を言われ感激もしました。他職種でチームとなり、避難されている方々の部屋を回り、相談を受ける、話を聞く、問題点をみつけるといった活動はとても貴重な体験でした。

 

支援という名目で行かせてはいただきましたが、行った私自身が薬剤師として、人として大きく成長できた体験となりました。

福島支援

薬局支援
福島 ぷらんたん薬局にて

2014年12月15日~29日、東日本大震災から3年経つ福島県福島市にある薬局へ、縁があり支援に行ってきました。

 

震災当時の様子をテレビでしか見ておらず、実際に訪れるのは初めての土地でした。福島県は津波そのものよりも原発事故の影響が大きく、3年が経過した現在でも、立ち入り禁止区域に指定されている地域があります。私が今回の支援で訪れた薬局は福島第一原発から100km以内に位置しており、近くを流れる阿武隈川沿いには、放射線量の影響がある旨が書かれた看板が並んでいました。

 

避難生活を強いられている方、家族と離れて暮らしている方など、薬局に来られる患者さんにも、多くの背景がありました。また、近くの温泉街も、風評被害で経営が厳しい状態が続いていました。100km以内というのは、福井県の大飯原発から京都市内までの距離と同程度となります。今は大丈夫でも、他人事ではないということを改めて実感しました。

 

支援という立場ではありましたが、たくさんのことを勉強させていただきました。京都駅から新幹線で約4時間の福島。小さなことから、できることを探して行きたいと思います。